2018. 9. 1〜9. 24 

『最初の家』

山形ビエンナーレ 100ものがたり 

 

 

もし家の概念が箱型ではなく球型へ変化したとしたら、我々の生活はどのようになるでしょう?

今までに土地に縛られていた家が、住む人の生活と共に転がりはじめたら、一体何が起きるのでしょう?

これは人間の生きた時間を線として地球上に描くと言う、まだ誰も描いていない線を実現するものであり、同時に私たちの世界の可能性を広げ、新たな価値を描くドローイングのプロジェクトです。

 

私たちの住む家は、遥か長い時間、想像もつかないほど沢山の人達の手を経て、漸く辿り着いた現時点での姿と言えます。故に、球体の家について考えるとは、家屋における形状を方形から球形へと変化させることのみを意味しているものではありません。非常に長い時間を経て得られる、あらゆる価値や思考について経験をもとに積み上げて行き、身体や人の営みに依拠した新たなイマジネーションをもとに実現する事がとても大切です。

 

今回のプロジェクトでは、新石器時代を切り口に、もし当時の人類が球体の家に住みはじめたとすれば、それはどのような家で、そこでの暮らしはどのようなものなのかという考察をもとに人類最初の球体の家を実現してみようと思います。

山形という土地、自然の中で見つける球体の家は、どのようなものなのでしょうか?生活の具や食など、家のみならず様々な角度から掘り下げ、具現化し、球体の家の最初の姿を共に目撃しようと思います。

 

 

 

球体の家 

監修/アーティスト 永岡大輔

 

協力作家

   熊谷幸治(土器作家)

   井口和泉(料理研究家)

   山崎大造(竹作家)

   玉手りか(テキスタイル作家) 

 

場所:東北芸術工科大学

https://biennale.tuad.ac.jp 

 

 

   
   

2018. 1. 13〜2. 4 

THE SPHERE HOUSE and BOOKS

 

『球体の家と本』
もし家の概念が箱型から球型へ変化したとしたら、
我々の生活はどうなるだろう?
今までに土地に縛られていた家が、
住む人の生活と共に転がり移動しはじめたら
一体何が起きるだろうか?
そしてその時の本の姿は?

 

場所:書肆サイコロ

166-0002 東京都杉並区高円寺北4-31-16
tel 080-4321-3156

http://www.frimun.info/saicoro/

 

 

 

   
   

The Sphere House 

 

会期 2017年 5月25日〜6月7日 

 

会場    SALA PROJETO FIDALGA

 http://ateliefidalga.com.br/galleries/the-sphere-house-en

 

もし我々の社会環境が前提としている例えば家の概念が箱型から球体型へと変化したとしたらどうなるだろう?今まで土地に縛られていた家が、住む人の生活に合わせて転がりはじめたら一体何が起きるだろう?

The Sphere Houseのプロジェクト最初の展示は、球体の家での空間的体験を表現します。回転する生活空間はどんなものになるのでしょう。みなさんと一緒に感じ、考えて行けたらと思います。

 

   
   

The Sphere House トーク&公開制作 

 

会期 2017年 2月17日〜19日 19:00〜未定

 

会場 大阪市中央区千日前2-3-9千日前二番街2F 237番 

 レジャーシティ味園ビル2F「TORARY NAND」

 

もし我々の社会環境が前提としている例えば家の概念が箱型から球体型へと変化したとしたらどうなるだろう?今まで土地に縛られていた家が、住む人の生活に合わせて転がりはじめたら一体何が起きるだろう?

The Sphere Houseの第1弾として、大阪でトークと公開制作を致します。
17日と19日の公開制作では、会場となる大阪なんばのTorarNand(トラリーナンド)にてThe Sphere Houseのプランドローイングを作りつつ、ご来場の方とお話をして行きます。
18日のトークライブでは、関西を代表する思想家千坂恭二さんとThe Sphere Houseから始まり、その先にある社会あるいは目の前にある社会の可塑性等様々な角度からお話して行く予定です。
全日特に終わりの時間を設定してないので、体力の続く限り話して行こうと思います。どうぞ宜しくお願いします。

2月17(金)、19日(日)19:00〜公開制作 永岡大輔
2月18日(土)19:00〜トークライブ 永岡大輔×千坂恭二

 

千坂 恭二(チサカ キョウジ)

ちさか・きょうじ
1950 年生まれ。高校在学中からアナキズム運動に参加し、
「アナキスト高校生連合」や「大阪浪共闘」で活動。
70 年代初頭、新左翼論壇において最年少のイデオローグ
として注目され、
『歴史からの黙示』(田畑書店)を著すも、次第に隠遁生活へ移行。
長期にわたる沈黙を経て、08 年頃から再び雑誌などに精力的に
論文を発表しはじめ、「アナキスト的ファシスト」とも評される

異端の過激論客として劇的な復活を果たした。 

   
   
※写真をクリックすると展示映像のリンクへ進みます
※写真をクリックすると展示映像のリンクへ進みます

場所と記憶

 

会期 2016年 10月14日〜30日 10:00〜17:00

※10月24日は休館日です。

会場 山形美術館 

 

永岡大輔 x 千葉奈穂子

山形にゆかりのある現代作家による写真と映像を紹介します。
山形市に生まれた永岡大輔は、一枚の紙の上に鉛筆によってイメージを描いては消す行為を記録した映像によるアニメーションを制作しています。消すこと/描くことの反復は、忘却と記憶とが並存し、その関係のズレが繰り返されることで、観るものに時間と場所や想像力の飛躍をもたらします。近年では北海道夕張市や青森市に長期滞在し、その土地の歴史や風景と記憶のイメージが揺れ動くような作品を発表しています。
岩手県出身で現在酒田市在住の千葉奈穂子は、サイアノタイプ(日光写真)という、太陽の光で像を青く焼き付ける初期の写真技法を用いて、長年にわたる家族の家の撮影や、東北の町に暮らす人びとの現在の思いや記憶をつづる作品を中心に発表しています。
永岡大輔の作品が作家の記憶にある場所や人物にもとづく物語的なイメージとするならば、千葉奈穂子のサイアノタイプは、レンズが捉えた具体的な場所や事物がもたらす記憶といえます。二人の作品に共通するのは、個別的な記憶から場所の特質を浮かび上がらせることといえるかもしれません。人類最後の人間は何を見るでしょうか。そして場所の喪失は記憶のなかに保たれている事柄をも不在にしてしまうのでしょうか。
本展が、現代に生活するわれわれが過去と未来を想像力によって結びつけるきっかけとなれば幸いです。

 

 

   
   

東北画は可能か?

 

会期 2016年 9月5日〜25日 10:00〜17:00

会場 東北芸術工科大学 芸術実習棟1階 

 

三瀬夏之介さんと鴻崎正武さんが2009年に東北芸術工科大学で立ち上げたチュートリアル「東北画は可能か?」に参加します。東北とは山形とは一体なんなのか。。。そこで制作することとは、そして生きることとは。。。山形に生きる作家達の作品の中に身を浸すと、そんなことを考えます。地方と言うテーマだけではなく、自分の身を置く土地について考え、そこを考える起点にすることを引っ張り出してくれる展示です。

是非ご高覧下さいませ。

 

 

ステートメント

僕の中と外に山形があると言うこととその根源

僕は山形市で生まれ育った。故に東北と言うとまず僕自身の故郷がその中心にある。18歳ではじまった様々な土地を転々する今の生活は、山形で過ごした時間よりも長くなった。折りをみて、帰省を出来るだけ欠かさずここまで来たが、それでも僕が幼い頃、或は思春期に過ごした当時の山形と現在のそれは少し違う。所によっては随分と大きく変わった。それが時代に寄る所も大きいし、受け取る側としての僕自身の年齢もあるだろうが、そもそも街というものは人とともに移ろい変わりゆくものであろうから、変化自体当然のことだろう。故に、僕にとっての東北、或はその中心にある山形は生活を移した時を断面に、2つの顔を持つ。一つは生まれ育った中で身体に染み付き積み重なった記憶の中のもの、もう一つは新しく発見する外側のもの。この二つが混ざりあうことはない。存外面白いのは、現在東京で暮らしていると、稀に記憶の中の山形的なものと出会う事がある。街角を吹く風にのって届くキンモクセイの香りだったり、街路樹の影を踏みながら歩いている時、電車に乗っている時に見た隣の人の食べた飴の包み紙だったり。ここにも僕自身の故郷があると、そんな時は感じる。幼い頃の記憶が想起されるからなのだろうが、寧ろ他の土地において僕の中の山形は混ざり合うことがあるのかも知れない。

さて、この様なことを考えていると、僕の中の山形或は東北と言うものは、僕が個人的な積み重ねで拵えたフィクショナルで、もはや存在しないものであるような不安を持たざるを得ない。そこでフィクショナルで実体のないものは何かと考えれば、その最たるものに、お金があるのだろう。あれは銀行やら国やらが信用をもとに価値を複製するフィクショナルなものと言える。1000円なら1000円として使えると言う紙切れだけど紙切れ以上の価値を理解できるのはその為だ。そして今や紙幣を使わずにお金を使うことすら容易に出来る。まさに実体を必要としない。そう言えばこうして今正に使っている言葉ですら、「言葉の意味とは、言葉のなかでのその使用である」(『哲学探求』43節)とヴィトゲンシュタイン※が言ったことに倣うと、その一つに数えられるように思えてならない。僕たちの日常生活には、実はそう言うものが非常に深くにまで入り込んでいるのだろう。と言うことは、僕たちの記憶や、実生活や社会の根底で、何やら見えない大きな力が隠れているように思える。 そこで、今回はフィクショナルなものについて考えてみようとおもう。僕たちの頭の中や、実生活に入り込んでいるそれらについて。このことは僕にとっての山形或は東北を考える起点になるのだろうと思う。

追記.お金を論じる時に、1枚の紙幣が誰から誰の手に渡りどんな旅を経て、今この財布にあるのかと言う事は、例えばその1枚が奇跡的に世界を10周したとしてもあまり考えないものだ。それは記憶を考える上で、個人的記憶が社会的な記憶にすっかりのみ込まれてしまうことと似ている。

※ルートヴィヒ・ヨーゼフ・ヨーハン・ヴィトゲンシュタイン(1889〜1951)オーストリア生まれの哲学者。 

 

 

夏休み子供ワークショップ「時間のアニメーションに挑戦!」

 

【Aコース】2016年7月23日(土) 10:30~16:00
【Bコース】2016年7月24日(日) 10:30~16:00

主催 東京都写真美術館

会場 東京都美術館 スタジオ(台東区上野公園内)

 

今年の東京都写真美術館の夏休みの子供ワークショップは、美術作家の永岡大輔さんといっしょにアニメーション作品を作ります。
画用紙に鉛筆で絵を描き、それを消しゴムで消して、さらに絵を描き・・・ これを何度も繰り返しながら、アニメーション作品を作ります。
アニメーションに興味のある人やアニメーションを作ってみたい人、 絵を描くのが好きな人などだれでも大歓迎です。 
ご参加をお待ちしております! 

参加費 1500円 

 

 

 

 

Sights and Sounds: Japan

 

Jan 2 - Feb 4, 2016

Jewish Museum

1109 5th Ave at 92nd StNew York, NY 10128

 

In 2011 Japan was shaken to its core when an immense earthquake and the tsunami caused a nuclear accident in Fukushima. We realized that, despite having experienced the devastation of nuclear bombs at Hiroshima and Nagasaki some seventy years earlier, we had grown increasingly indifferent to the environment and placed too much emphasis on modernization and economic development. For the subsequent five years the country has grappled with the huge question of where to go from here. Overwhelmed by the crisis at the outset, local artists gradually faced the reality of the situation and the challenges it posed. They began to reconsider history and embrace social and political subjects. The moving image functions as a mirror, reflecting their urgent, critical pursuits.
 
The artists shown here examine history and other grand narratives with a focus on familiar, personal events in a human scale. Their approach, whether documenting a performance or the process of artistic production itself, is rooted in their own bodies. The works are not defined by a declarative, regional framework, but are instead abstract and expansive, so that anyone can share in the experience, triggering the viewer’s imagination. They are imbued with a transnational perspective that resists closure.
 
Yukie Kamiya
Curator 

 
Yukie Kamiya (b. Kanagawa Prefecture, 1967) is Gallery Director of the Japan Society, New York. She was previously Chief Curator of the Hiroshima City Museum of Contemporary Art, Japan (2007–15) and Associate Curator of the New Museum in New York (2003–5). Kamiya has also served on the advisory boards of the Yokohama Triennial 2014; Parasophia 2014, Kyoto; and Asia Art Archive, Hong Kong (2011–13). Her writing has appeared in Creamer (Phaidon, 2010), among other international publications.

 

 

 

The fire that has been burning for 1000 years and the star that has gone out 8 minutes and 19 seconds ago ©Daisuke Nagaoka
The fire that has been burning for 1000 years and the star that has gone out 8 minutes and 19 seconds ago ©Daisuke Nagaoka
最後の観測者 展示写真 2015
最後の観測者 展示写真 2015

passage 永遠の一日

会期2015年7月25日(土)~9月13日(日)10:00-18:00/会期中無休・入場無料


会場  国際芸術センター青森 ACAC

    http://www.acac-aomori.jp/access/


 

日常からふと目をそらすと、私たちの生が個々の一瞬一瞬の実感の内だけにあるのではなく、人類の歴史ともいうべき連綿と続く長い時間の上にあることにしばしば気付かされます。同じように芸術作品も、芸術家一人の人生のみならず、それをはるかに超えた悠久の時間と刹那の実感が交差するところに生まれ出るといえるかもしれません。一方で儚い人間の個人的な内側から生まれ出たものが普遍性を内包し、時代を超え、地域を超えてその価値を示し続けることもあるでしょう。作品に内包された連続する時間は、過去から現在、そして未来へと続き、目の前にある作品は、完成していながら、同時に変化・変更の兆しを秘めています。芸術作品との出会いが生涯に渡って刻まれる驚くべき一瞬となり得るのは、こうした変化し続ける価値を鑑賞者が自らの実感と永遠の内に発見するからかもしれません。

制作と発表が時間的にも空間的にも近接している国際芸術センター青森(ACAC)のアーティスト・イン・レジデンス(AIR)では、しばしばアーティストの日々の継続的な制作が思いがけない邂逅や瞬発的な飛躍によって展開し、作品として現れる場面を目にします。アーティストが意図するにせよしないにせよ、制作の痕跡が残る作品は、美術館での作品との出会い以上にその背後に横たわる制作の時間に目を向けさせることでしょう。

本展のタイトルはギリシャの映画監督テオ・アンゲロプロスの「永遠と一日」から引用しています。過去から現在、そして未来へと続く連続する時間の痕跡を内包し、過ぎた時空間と現在を結合し、未来の価値につなげようとする4人のアーティストたちの滞在制作による作品をぜひご覧ください。

We all live along a time continuum that blurs each waking moment. Similarly, artworks extend beyond the life of a single artist, emerging where individual moments of human realization intersect on a timeline spanning all of human history. Art formed at these individual points in humanity’s fleeting existence may have eternal implications. And as the eternal time continuum progresses from the past to present and into the future, every artwork, while perfectly complete, hides signs of variation and alteration. This may be the very reason why the art appreciation experience can often become an incredible moment that forever remains with the audience.

At the Aomori Contemporary Art Centre’s (ACAC) Artist in Residence (AIR), production and presentation share close temporal and spatial proximity. We witness AIR artists transform their productions into artwork through their constant efforts, which in turn lead to developments due to unexpected encounters and sudden surges of inspiration. Regardless of intention, these artworks retain traces of their creation, allowing the audience to go beyond the typical museum to examine the production behind them.

The ACAC has taken the title of this year’s exhibition from Greek film director Theo ANGELOPOULOS’ Eternity and a Day. The program observes the successive marks of time that continue from the past into present and future. This year’s resident production and exhibition invites artists whose expression can unite past time and space with the present to build value for the future.



 

■作家ステイトメント
「最後の観測者」

永岡大輔


今回は、人類最後の人について描こうと思う。

我々は10万年という随分遠い未来について考えねばならない。10万年とはとりもなおさずプルトニウムの発する放射能の半減期のことである。

10万年前と言えば現生人類が25万年前に誕生しアフリカ大陸を出て世界中に広がった時代。奇しくも12万年前に火の利用がはじまったと言われている。

これほどの遠い時間的隔たりのある未来を如何に思い描いたものか。単なる空想をこえて考えようとするほど、このことが如何に難しいかを実感するのみだ。そこで、ひとつの仮説を置く。

10万年後の或る日、我々人類が最後の一人になるかもしれない。

と。

それでは、その時その人間は一体何を見るのか?

途方もない孤独の中で、諦めつつも誰かを待ち続け、或は探し続けるのかも知れない。

そして見渡す限りの街、景色を人類史の最終章として受け取ることだろう。

この中で、彼(彼女)は我々の気配と出会い、過去の人間の営みを眺めるのだろう。

故に、我々は彼の視線の先に居る。我々が彼の視線の先に居る。




NAGAOKA Daisuke
The Last Observer


I want to draw the final human.


I must envision a far-off future, 100,000 years away. That is to say, the radioactive half-life of plutonium.


If I look 100,000 years into the past, I will see modern man, born 150,000 years prior, spreading from the African continent across the globe. Looking 20,000 years beyond that, I would see man’s miraculous first use of fire. How would those early men have envisioned such a temporally distant future? The more I try taking this idea beyond a mere daydream, the more I am struck by how challenging it may actually be. It is there that I posit a hypothesis.


Perhaps we are the ones who will become the last of mankind, one day 100,000 years from now.


When the time comes, what will that last person see?
In an outrageous loneliness, ready to resign to their fate, they may continue waiting or continue searching for someone.

Perhaps they will look out upon some landscape, stretching as far as the eye can see, and accept it as the final chapter of human history.

In the midst of their surroundings, perhaps they will catch a glimpse of us and gaze upon the past actions of man.

We are the ones currently living out those actions, consequently standing in the last observer’s line of sight.


 

 

 

 

待つことについて 2015、430×315mm、紙に鉛筆、水彩
待つことについて 2015、430×315mm、紙に鉛筆、水彩

永岡大輔 個展 もうひとつの穴

会期2015年6月 5日(金) ~7月 5日(金)   

本展示は終了いたしました。ありがとうございました

    

  ※月曜、毎月最終日曜日 休

会場  hpgrp GALLERY TOKYO

    http://hpgrpgallery.com/tokyo/


協力  Little Barrel

 

このたび、2015年6月5日から7月5日まで、hpgrp GALLERY TOKYOにて永岡大輔の個展を開催いたします。 永岡は、鉛筆で描いたり消したりを繰り返し、それを録画し早回しして見せることでアニメーション作品 として提示しています。また、最近では人々の経験やその場所の歴史を、読書や朗読で掘り起こすプロジ ェクト「Re-constellation」なども行い、展覧会場での作品発表に留まらない広がりのある活動を行って います。 一枚の紙の上で物語が積み上がって行く永岡のアニメーションには、時間というテーマが通低しています。 線が描かれると同時に、消された線の痕跡も残っていくという、未来と過去が同時に存在する独特なアニ メーションの形式は、物語にも漂う曖昧な時間軸と一致します。昨年、同ギャラリーで発表された作品「千 年燃え続ける炎と8分19秒前に消えた星」では、塗り重ねられて行く時間の層と人々の生と死が繋がってい るような静謐な世界観で観ている者を魅了しました。本展で発表される新作アニメーション「もうひとつ の穴」では身近な体験をもとに、壮大な風景と個人の身体が繋がり重なるような世界が更に切実に観てい る者に迫ります。本年はイメージフォーラムフェスティバル2015や、国際芸術センター青森のアーティス ト・イン・レジデンスでの滞在制作及び展覧会にも招聘され、今後も活躍が期待される永岡大輔の1年ぶ りの個展の告知にぜひご協力賜りたくここにご案内いたします。

 

■作家ステイトメント
「もうひとつの穴」
随分沢山の絵を消して来た。 いつかすっかりと忘れてしまうかもしれない事を知りつつ繰り返し絵を描いて来た。 忘却に晒され続ける絵は、まるで蝋で書かれたように、白い紙片からあぶり出されまた薄れ行く。記憶に 於いて正確に言える事が忘却のみだとしても 『私』の記憶が社会の記憶にいつか回収されるとしても、 身体も街もこの宇宙までもがいつか産まれる前の状態に戻るとしても。 消え去る絵、描かれつつある絵、その行為、出来事。

私はこの紙の前で起こるすべてを記録する。

今回は穴について考えてみようと思う。 目を開くと広がる巨大な穴、 目を閉じても存在する穴。 宇宙と意識は身体と言う管で繋がった 穴と穴のことである。 これら穴について、人の営みをもとに。

 

■展覧会に関するお問合せ

hpgrp GALLERY TOKYO
電話:03-3797-1507 e-mail:
art@hpgrp.com URL:http://hpgrpgallery.com/

■広報に関するお問合せ

水田紗弥子(Little Barrel)

電話:080-1106-9936

住所:〒101-0021 東京都千代田区外神田 3-6-14 深野ビル 2 階  

 

 

 

【上映】『イメージフォーラム・フェスティバル2015』、東京4/28~5/6(パークタワーホール/シアターイメージフォーラム)→京都5/16~5/22(京都シネマ)にて、”WAVY”上映です。プログラム『H』での上映になります。

 どうぞ宜しくお願いします。

 URL: http://www.imageforumfestival.com/

 

会期〈制作期間〉3月18日(火)─3月28日(金)
   〈展覧会期〉3月29日(土)─7月6日(日)
    12:00〜19:00/※月曜(祝日の場合は翌日)休館/入場無料

    本展示は終了いたしました。ありがとうございました

会場  大阪 京阪電車 なにわ橋駅 アートエリアビーワン

     http://artarea-b1.jp/

共同企画者graf(クリエイティブユニット)IN/SECTS(編集プロダクション)

 

永岡大輔

今からもう何年前になるだろうか。大阪のgrafで開催されたtenants展に参加してから。場所は変わるのだけど、grafの共同企画による展示が再び開催される。テナントからアパートに様相も変え、この中で参加者がそれぞれの表現をする。当時は、僕は、毎日1本アニメーションを壁面を使って撮り続ける過酷な滞在制作をしていた。今回はそれは封印だけど、またアニメーションを展示する。こうして再会できる多くのも有り難い。と、個人的な思いを吐露しましたが、是非、みなさまにご覧頂ければと思います。どうぞ宜しくお願いします。

 

 

 

(c) Tokyo Wonder Site
(c) Tokyo Wonder Site

トーキョー・ストーリー2014 第1期

会 期:
2014年5月 3日 ~2014年6月 8日    
本展示は終了いたしました。ありがとうございました
休館日:
5/7・12・19・26・6/2
時 間:
11:00-19:00
入場料:
無料
主 催:
公益財団法人東京都歴史文化財団トーキョーワンダーサイト
協 力:
イアーブ(スイス・バーゼル)、夕張市(北海道)
会 場:
トーキョーワンダーサイト本郷トーキョーワンダーサイト渋谷
アーティスト:
遠藤一郎、加瀬才子、永岡大輔、松本 力、 mamoru、山本良浩 (以上TWS本郷) 川久保ジョイ、福居伸宏 (以上TWS渋谷)

 

展示によせて

 

永岡大輔

 

私は、2012年と2013年の夏に夕張市に約1ヶ月間ずつ、滞在しました。

そこではじめに目にしたのは、お盆に仕事のために街を離れている家族を心待ちに

する人たちの姿でした。

炭坑が封鎖されて、大きな産業が消えたこの街で仕事を得るには、現在の状況は厳

しく、人の多くはより良い生活、人生のために生まれ育った街を離れることを選択

します。とは言え、今は失われた産業である炭坑を契機に産まれたその場所もまた、

かつてより良い生活や人生を求めて移住して来た人たちで賑わったのです。その意

味では、この街で家族を待つ人達も、かつて街を離れた人達であったのでしょう。

 

都市部、そして地方で生きる人々。或は、その人々の移動そのもの。

彼らの営みや、その中で揺れ動く感情、生成される記憶について。

 

都市の表皮の奥に存在するこれらは、街やその歴史について、或は地方と都市につ

て考える際にも、現代社会が抱える諸問題と表裏一体となり現れます。

つまり、夕張を見つめることは、今自分たちの住む世界がどうなっているのかを俯

するような高い視座と眼前にするような低い視座の両方で同時に思考することで

もあるのです。

今回の展示を通して、みなさんと、都市と地方について、或は都市と地方の関係性

中で生きる事について考えて行きたいと思います。

 

 

 

TOKYO STORY 2014 Part 1

Date:
2014.05.03(Sat) –2014.06.08(Sun)
Closed:
5/7・12・19・26・6/2
Time:
11:00–19:00
Admission:
Free
Cooperation:
iaab, Yubari City
Venue:
TWS Hongo / TWS Shibuya
Artist:
Ichiro Endo / Saiko T. Kase / Daisuke Nagaoka / Chikara Matsumoto / mamoru / Yoshihiro Yamamoto (TWS Hongo) Yoi Kawakubo / Nobuhiro Fukui (TWS Shibuya)

URL:http://www.tokyo-ws.org/english/hongo/index.html

 

 

Daisuke Nagaoka

 

In summer 2012 and 2013. I spent about a month in Yubari City.

It was the o-bon holiday period, and the first scene I saw in Yubari was of

people eagerly awaiting the return of family members who had left the city

to work.

With the closure of the coal mines and the disappearance of large industries,

it's very difficult to find work in this city now and many people are choosing

to leave the place where they were born and raised in order to find a better

living and a better life. On the other hand, this place came into being because

of the now-lost coal mining industry, and it once thrived because people moved

here looking for a better living and life. Thus, thepeople now waiting for their family

members were probably the same people who had left their own cities in the past.

People who live in the city and people who live in the country--and the movement

of those people.

It's about their activity, and the feelings that waver and the memories that form

within that activity.

 

When we think about the city and its history or the country and the city,

these things existing under the city's surface appear as something inseparable

from the various issues of contemporary society.

 

In other words, to look closely at Yubari is to consider the state of world we are

living in from both an elevated perspective, as if seeing it from above, and a ground-level

perspective, as if seeing it before our eyes.

Through this exhibition I would like to think, along with you, about the city and

the country and the things that live within the relationship between the two.

 

個展「千年燃え続ける炎と8分19秒前に消えた星」

exhibition "The fire that has been burning for 1000 years and the star that has gone out 8 minutes and 19 seconds ago." 

2014 年3月6日(木) ~ 4月13日(日)

本展示は終了いたしました。ありがとうございました

会場:hpgrp GALLERY TOKYO

   http://hpgrpgallery.com/tokyo/

 

 

hpgrp GALLERY TOKYOから永岡大輔の新作展開催をご案内申し上げます。

1973年生まれの永岡は、記憶と身体との関係性を見つめ続けながら、創造の瞬間を捉える実験的なドローイングや、鉛筆の線画を早回ししたアニメーション作品を制作してきました。昨年は「第1回札幌500m美術館賞」にてアニメーション作品でグランプリを受賞。同美術館においてのグランプリ受賞展「New Cities」を開催するなど高い評価を得ています。また、現在は朗読体験を通じて人々をつなげるプロジェクト[Re-constellation] に取り組み、映像、公演等様々な表現活動を展開しています。「物理的ではなく、人間の意思によって断続的に受け継がれる事象に興味がある」と語る永岡は、松尾芭蕉の句でも有名な立石寺に伝わる「1200年間一度も消えることなくつづいている不滅の法灯」の逸話を例に挙げ、本展にてビデオ・インスタレーションやその制作過程で生まれたドローイングにより自身が追い求めている記憶というキーワードに迫ります。この機会にぜひご高覧くださいますようお願い申し上げます。